正解のようなものを積み上げてどこにいく
日々は「正解なのかもしれない」の連続で出来ている
何が正解だなんてわかんないけど、そんときの当事者がそんときに納得してそう進んだなら、正解不正解を考える事はできないんだと想う。正解はこれでしたーってクイズ番組じゃないんだから、人生は。
結局のところ、人生とかいうものは、「正解なのかもしれない」といった根拠の薄い選択を積み上げていく作業なのかもしれない。誰とつきあおうが、誰と浮気しようが、誰と別れようが、答えを知ってるかみさまはいないのだから、ひとつひとつの選択に自信を持てるかどうか、というところに集約していくのだ。
なんだ、けっきょく「自信もて」ということが言いたいのか。薄っぺらいお兄ちゃんとしては、薄っぺらいとばれたくないからこうやって言葉を積み上げてそれなりのことを書いているように”魅せる”のが得意になってきている。
お客さんありきのデザイナだから、納得させるためのデザインというのもあるのかもしれない。最初から相手を納得させるために生きてるんじゃないということを思い出した昨日。だったんだけど、そういったひとつひとつも確かに積みあがってて、カウント、されていて、ちょっと嬉しくもある。
かみさまがいたら訊いてみたいよね。
―――これで正解でいいですよね?
もう取り返しなんてつかないんだろうけどね。